閘門 (古さ) 

   都道府県別データ一覧にある閘門(傾斜水路を含む)のみを「古さ」の順に並べたもの (青字のデータは、従来運河とされていたもの)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 新川のおとし しんかわ 高知/高知市 弘岡井筋→新川川 水閘(傾斜水路) 長22m余,高低差2.7m,幅9m 慶安5(1652)以降 市史跡 春野町史p275
-278/市教委
保存状態良好/明治29年の資料に、「おとし」の構造を「大石木材を用い、下地を大石にて畳し、上を松板にて蒸廻す」と書いてあり現状と異なるが、それ以後に改修が行われた記録は残っていない/材木を200年以上流下させ続けていれば損傷が発生するため、江戸期に改修が行われた可能性は高い 野中兼山(アイディアの出所は不明)/仁淀川下流に八田堰を設けたため上流からの材木搬送ができなくなった→弘岡井筋~新川川経由で輸送するため、2つの水路を結ぶ「傾斜水路」を造った/仁淀川最下流に居住していた材木輸送関連の人を新川に移住させたのが17世紀後半なので、慶安5に八田堰が完成後早い時期に「おとし」もできたと推測できる/木材を流すだけなら八田堰に舟通しを設ければよいので、ルート変更には、仁淀川から太平洋を経由せずに高知城下まで木材を運ぶ方が良いとする判断も働いたと思われる/わが国で唯一の傾斜水路/最下部に大きな石が不規則に並んでいるが、かつては水位が高く水面下に隠れていたとされる 1 写真
写真 吉井水門 よしい 岡山/岡山市(東区) <吉井川⇔倉安川> 石閘門(花崗岩)
(ゲートは木製)
第1:幅3.33m,石垣高(底から)5.15m,第2:幅3.33m,石垣高(同)5.50m,閘室:35m×20mの卵型 延宝7(1679) 県史跡 吉井水門調査報告書 後世の水害等により、石垣の積み直しが多い(第2水門の周辺が最も保存状態が良い) 国内現存最古の運河閘門(2門とも残る)/発想者不明:岡山藩(池田家宗家)の初代藩主・池田光政という説と、閘門建設の総責任者・津田永忠という説がある)/楕円形の舟たまりで、通行するの高瀬舟を検閲した/建造当初の精緻な石積み技術が残っている他、後世の多様な補修(すべて石造)も見られる/福岡県の中間の唐戸の建設に際し、堀川工事の役夫頭・一田久作が見分に訪れたことでも知られる(一田は、吉井水門の「閘門」としての2枚扉の機能を、「洪水防御」と誤解して中間の唐戸を2重扉にした) 2 写真
写真 出西岩樋・跡 しゅっさい 島根/出雲市 斐伊川~高瀬川 トンネル式閘門
(2段式)
  貞享2(1685)   現地解説板 昭和41の改修で閘門機能は消滅→灌漑用水の取水口 松江藩・竜野九郎ヱ門が6年かけて開削/斐伊川流域の仁多、飯石、大原郡から米、鉄、木炭などを松江に舟で運ぶために造られた/記録上、岡山の吉井水門に次いで国内で2番目に古い運河閘門/下記「来原岩樋」と並び国内で2例だけの連続2段閘門 5
写真 来原岩樋 くりはら 島根/出雲市 斐伊川~高瀬川 トンネル式閘門
(2段式)
素掘トンネル部
長約30m,幅2.4m,高約4m
元禄13(1700) 選奨土木遺産 大梶七兵衛に関する諸問題(美多 実) 斐伊川との間は道路で遮断/下段の閘室は公園化 3代目・大梶七兵衛(朝則)が、祖父の遺した設計者をもとに開削/貞享4
(1687)に祖父が完成させた高瀬川(上記参照)と揖斐川を結ぶ目的/記録上、岡山の吉井水門、上記「出西岩樋」に次いで国内で3番目に古い運河閘門(原形をある程度留めるものとしては2番目)/出西岩樋と並び国内で2例だけの連続2段閘門→下段の閘室が特殊な構造で、高瀬川と間府川(1712開削)の2つの川に接続するため2つのゲートが有する)
2 写真
写真 見沼通船堀 東縁二の関 みぬま
つうせんぼり
、ひがしべり
埼玉/
さいたま市(緑区)
見沼代用水東縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長390m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 見沼代用水東縁~芝川との間に設けられた第1閘門(東縁側から見て)→東縁と同一の水位から、一の関の最高水位まで水位を下げる 2
写真 見沼通船堀 東縁一の関 みぬま
つうせんぼり
、ひがしべり
埼玉/
さいたま市(緑区)
見沼代用水東縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長390m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 見沼代用水東縁~芝川との間に設けられた第2閘門(東縁側から見て)→二の関の最低水位から芝川と同一の水位まで水位を下げる 2
写真 見沼通船堀 西縁一の関 みぬま
つうせんぼり
、にしべり
埼玉/
さいたま市(緑区)
見沼代用水西縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長654m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 芝川と見沼代用水西縁との間に設けられた第1閘門(第2閘門は復元せず)→芝川と同一の水位から、二の関の最低水位まで水位を上げる 2